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君も知らない魔法使い
原稿用紙:15枚
二十五世紀になって魔法使いが現れるなんて、誰も予想していなかったことだ。もちろん、二十世紀でも五十世紀でもそれは同じことだろう。学者先生は言った。魔女狩りは十七世紀にあった。文明も文化もその時代にはちゃんとあったのに、それでも魔女だと噂され、それだけで何十万人もの人たちが火あぶりにされたのだと。僕たちが頼りにしている科学力の限界がどこにあるのかを、偉い人たちはちゃんと知っている。彼らが真っ先に彼女とその力を認めたのだとしても、僕はちっとも驚かない。中途半端な知識しか持たない人たちが、彼女のことをいろいろと詮索し、論議したあげくに本人の不興をかってガマガエルにされてしまったことは誰の記憶にも新しい。日曜日の生中継中にそれは起こった。テレビを持っている人はみんな、あれを見たはずだ。人間、死ぬまで勉強しなければならない。何かを決めつけるなんて恐ろしいことだ。ガマガエルになんてされたくなかったら、出しゃばりたがる口など死ぬまで閉じておくことだ。
彼女が日本人であり、いじめられっ子だったことは知られている。頭が良かったことも知られている。二十三歳で考古学者になって、二十五歳で魔女の力を手に入れた。結婚はしていないし、両親も親戚もいない。友達はできなかった。孤児で、奨学金をもらって大学へ通った苦労人なのだ。
もちろん、君も彼女の名は知っているだろうが、今はもちろん知らないだろうね? ただ、それじゃ話がしにくいから、これからは彼女のことを朝子と呼ぶことにしよう。この名前に大した意味はない。今、僕の家に遊びに来ている姪っ子の名前なのだ。
朝子は古い遺跡から掘り出した文書から、自分には魔女になるための素質があると分かった。それから二年間、彼女がどこへ行ったのかは誰も知らない。たぶん、魔女の国へ行って本格的に修行を積んだのだろう。
二十五歳になって朝子は再び人間社会に姿を現した。それからは大変な活躍だった。
世界中の武器・兵器を盗んで、南極大陸の氷の中に閉じこめてしまった。気にくわない政治家たちをみんな子供にしてしまった。頭の中はたいそうなことが詰まっているのだろうけれど、小さな子供たちが口角泡を飛ばして議会で論議に夢中になっていたり、居眠りしているのを見るにつけ、誰もが政治なんてこんなものかとガッカリしてしまった。誰が本当の政治家なのかは一目ですぐに分かるようになった。
朝子はその気になればどこにだってホウキに乗って逃げられたのに、いろんな国に現れては、警官隊や兵隊相手に騒ぎを起こし、死人が出るのもかまわず暴れた。指先から雷を落としたり、口から炎や氷の風を吐き出したり、目から怪光線を出して何でも石に変えたり、そうやって戦うことが面倒になったら、巨大なドラゴンになり地面を踏みならして地震を起こし、町中をひと思いに壊してしまった。
ただ一つ言えることは、と偉い人はテレビやラジオで言ったね。魔法使いは破壊をめざしている。他に目的などない、と。 誰でも怒りを持っている。どうすることもできない怒りを。おそろしいことに、と学者先生は言った。彼女は思うまま、それを発散させる方法を学んでしまったのだ、と。
当然、誰もが考えた。だったらその方法を別の誰かが学んで、朝子に対抗すればいいと。だけど彼女はちゃんと手をうっていて、自分が発見した文書はとっくに焼き捨てていたし、手がかりになりそうな道具は粉々に砕いてしまっていた。
朝子がどうしてそんなに怒っていたのか、町中を破壊するほどの怒りをうえつけたのは誰なのか。もちろん、マスコミはそのあたりに目をつけた。むかし、彼女をいじめていた人たちが追跡調査され、自宅が突き止められると投石と放火が行われ、リンチが繰り返されるようになった。 僕が思うに、朝子はそうなることが分かっていたんだろうね。自分が手を下さなくても、彼らが罰せられるだろうと。どうしたって、誰かが犠牲になる世の中だと、朝子はよく知っていたんだ。自分のいじめの経験からね。みんな、恐ろしい魔法使いに手が出せないものだから、かわりになるものをやっつけた。
昨日はテストの結果が悪くて、親にさんざん叱られた。むしゃくしゃするから、自分より弱いあいつをやっつけることにしよう。そんなふうに。
彼らが半殺しの目に遭っても、朝子は痛くも痒くもなかった。
ただ、頭の片隅で自分が同じ犠牲者を増やしている事実に気がつき、復讐に疑問をもったんじゃないかとは想像できる。
学者先生たちは電波を通して、恐る恐る言った。怒りはそのまま発散させても、おさまるものではない。怒りは生き物に似ている。それは育つし、強くなるものだ。ただふつうの生き物と違うのは、決して死なないこと。別の何かが、怒りを解決する。ほとんどの人はそれを見つけたり、自分でつくりだす
ことで解決する。
願わくば、あの魔法使いもそれを考えてほしいものだ。言ったそばから、彼はガマガエルに変わっていた。テレビでみんなはそれを見て、ラジオでみんなはカメラマンの悲鳴とカエルの鳴き声を聞いた。
カエルの声は日本中、世界中でいつでもどこにいても聞こえるようになった。彼女に口出しできる人間は、誰もいなくなってしまったのだ。
それからも彼女は自分のしたいようにやっていた。ある日、朝子はホウキから落ちた。
万能な彼女がどうしてそんなヘマをやったのかは誰にも分からない。あまりにも怒りの力が強くなりすぎて、コントロールができなくなったのだろうか。高い空から落下して、ハチ公の銅像にぶつかって地面に投げ出され、彼女は意識を失った。それでも、もう、誰も彼女のことをやっつけようとか、つかまえようとは思わなくなっていた。彼女の怒りがあまりにも恐ろしすぎたから。
数時間後、彼女は意識を取り戻して、頭から血を流しながら歩き出した。
朝子の行くところには誰もいなかった。望遠レンズで離れたところから、テレビカメラが彼女を追っていた。ニュースで魔法使いの進路が伝えられると、その場所に住んでいた人たちはみんな別の町に避難した。彼女の行くところはどこも廃墟だった。朝子は、ずっと頭から血を流して歩いていた。
三日後、朝子の行く手に女性が一人現れた。若い看護婦さんで、救急箱をひとつ持っていた。今から思えば、本当の看護婦さんではなかったのかもしれない。とても本物らしくみえた。 彼女は黒いサングラスと大きなマスクをかけていたので、素顔はまったく分からなかった。看護婦は朝子のケガを看てやり、消毒をして包帯を巻いた。
その人は、朝子が頭を打ったせいで、記憶をまったく無くしていることを発見した。
魔法使いの朝子は、その看護婦にありがとうと言った。とても寂しくて、どうしたらいいのか分からなかった、と。この感謝の気持ちをどうしたらいいだろうと、魔法使いは尋ねた。あなたに何かをしてあげたいのだ、と。
「そうねえ」その看護婦は言った。望遠レンズが二人をとらえ、集音マイクが世界中に正体不明の看護婦の言葉を伝えていた。「今、世界中の人が苦しんでいるの。悪い魔法使いの仕業でね。たくさんの人がカエルになってしまったし、都市が壊され、疫病で苦しんでいる人がたくさんいるの。みんなを助けてあげられたらどんなにいいか。あたしには、あなたを救うだけで精一杯なの。知らないのだろうけれど、あなたには魔法の力があるのよ。あなたがみんなを救ってくれたら、あたしはとっても嬉しいわ」
朝子はうなずき、そうなることを願った。すると自分のそばにホウキが現れて、彼女はそれに飛び乗った。
こうして朝子は、悪い魔法使いの破壊のあとや、暴力のあとをひとつずつ消していくことになった。
朝子を救った看護婦は、それっきり姿を現さなかった。たくさんの偽物が名乗りを上げた。本物はたぶん、二度とは現れないだろうね。
カエルから元に戻った学者先生は言ったね。その女性は、ケガ人を放っておけなかったんだろう。頭から血を流して何十時間も歩き続けている人間を見て、放っておくことはできなかったんだろう、と。本当の看護婦だったんだろうと。いろんな人がいろんな噂を流したけれど、学者先生の言っていることが一番真実に近いんだと僕は思う。
この世にはいろんな仕事があって、いろんな役割を持っている人がいる。大切なのは、一度その仕事についたのなら、できるだけその仕事に合った人間でいることじゃないだろうか。
世の中のことなんて誰にも分からない。ただ大事な仕事だけが、本当に役立つことをしてくれるのだと僕は思う。
朝子はそれから、やさしい魔法使いになった。
たった一人で、自分のことも分からないまま、頭が痛くて吐き気がして、死にかけていた彼女は、人に優しくされることの有り難みを知った。自分がそれだけ苦しんでいた時、まったく関係ない人に優しくされて、彼女は口にできないほどの感謝の気持ちを抱いた。
今、彼女はみんなのヒーローになっている。朝子は生き物が好きだ。最近は一眼レフのカメラを手に入れて、休日になると動物園や植物園に行って、シャッターを切るのだそうだ。ノートパソコンを持ち歩き、写真のカタログを作って、気に入ってくれた人にはその場で印刷して、無料で配っている。
絵画教室にも通い出した。水彩画や油絵など、いろんな手法の絵をかいて自分のジャンルを見つけだそうとしている。ダンス教室でタンゴを踊ったり、そうやって新しくできた友達と、ライヴ会場に行って、ロックンロールに体を揺らすことも覚えたそうだ。
彼女の作品は芸術的価値があると認められ、展覧会も開かれた。朝子がこの前、女性誌のインタビューに答えたところでは、そうやって何かを作り出している時だけ、悩みを忘れることができるのだそうだ。
その悩みとは何でしょう、とインタビュワーが聞いた。朝子は答えた。自分が何者なのか分からない不安です。誰に聞いても、探偵さんに依頼してもさっぱり分からないんです。わたしのことは誰も知らないんです。自分が誰なのか分からないのは、とても不安です。
インタビュワーは言った。知らないからこそ、良いのかも知れませんよ。知っていたら、あなたはこんな風に誰かを楽しませる仕事ができなかったでしょう。わたしはあなたの大ファンです。あなたの水彩画が大好きです。こんなことを言っては不謹慎ですけれど、ずっと知らない方がいいのに、なんて思ってしまいますよ。ずっと作品が生まれ続けることを祈ってるんです。
朝子は笑った。そうですね。知っていたら、わたしは何もできないかも知れません。
先日、僕はまた絵画教室に出向いて、受講者を相手にレッスンをした。もちろん、朝子もそこにいた。終わったあと、彼女は僕に会いに来て、絵について興味深い話をした。きっと、彼女の夢は大きくふくらんでいくに違いない。そう感じさせるような話だった。そこで僕は彼女を誘って喫茶店に行き、自分の意見を出して彼女のそれと交換した。正直、とっても楽しかった。
それからも、僕らは会っている。この先がどうなるかは知らない。朝子も知らないだろう。
知らないことが一番楽しい。
今は彼女もきっとそう思っていることだろう。
魔法使いは、自分のことを知らない。たくさんの人にそのことを聞いたけれど、答えはいつも同じだ。これからもきっとそうだろう。彼女が何者かなんて、いずれみんな忘れてしまうだろう。誰にとっても、それはつらい出来事だった。
「私には分からない」
「知らないねえ」
もちろん、僕も知らないし、君も知らない。肝心なことは、彼女自身が知らないことだ。
今、魔法使いは何も知らないまま、世の中の人たちがのぞむことを精一杯やっている。人々が、魔法使いという職業に望むべきことをね。彼女を見ていると、僕も自分の職業に誇りを持たなくては、という気持ちになる。たぶん、これからも僕は朝子に会うだろう。お互いにとって、いい勉強になると思う。
彼女のことは誰も知らない。僕も知らない。君も知らない。それがいちばん幸せなことだ。ただ、誰もが知っていることがある。この世には不思議な魔法があるってことだ。
朝子の中の怒りを解決したもの。どこからやって来たのか誰も知らない、謎の看護婦。当たり前のようだけれど、そういったものがどこから来たのかは、決して誰にも分からない。どうしてこの世に原子があり、その周りを電子が回っているのか。どうして男と女がいるのか。そんな誰もが考えつくけれど解決できない基本的な質問と同じくらい、誰にも答えられないものなのだ。そして僕たちは、知らなくてもやっていける。それは、二十世紀でも五十世紀でも、はたまた現在の二十五世紀でも、いつ、どこの世界でも、決して変わらないものなのだ。
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